「どうしてこんなことになったんだろう」

過去の私は、何度も同じ問いを繰り返していました。

現実は思うようにいかず、心だけがどんどん苦しくなっていく。

あなたも今、疲れていませんか?

頑張っても頑張っても、どこかたりない気がする。
もっとできる自分に、もっと強い自分に…そうやって、ずっと走り続けてきた。

「ありのままを受け入れましょう」って言われても、そのやり方がそもそもわからない。

私も、長い間そうでした。

この記事では、そんな私がどん底の中で気づいた、たったひとつの考え方をお伝えします。
何かを「しなきゃいけない」話じゃないので、ただ読んでいただけたら嬉しいです。

全てが、強制終了になりました

全てが静かに止まった瞬間

そんな中で私は、ある出来事をきっかけに、立ち止まらざるを得なくなりました。

それが「勾留」という経験でした。

仕事も、人間関係も、日常も。
これまで当たり前だったものが、一度すべて止まりました。

静かな空間の中で、ただ「考える時間」だけが流れていく日々。

不安や恐れはありました。

けれど、不思議と「後悔」はありませんでした。

なぜなら、私は私自身を信頼していたからです。

それは、人や自分に対して、誠実であろうとしてきたから。

正解かどうかは分からなくても、
そのときの自分なりに、嘘のない選択をしてきた。

だから私は、どんな状況になっても
「人や自分を裏切っていない」と思えたのだと思います。

だからこそ、あの状況の中でも、私は壊れなかったのだと思います。

「いったい私は、何者になろうとしていたんだろう」

そしてその静かな時間の中で、ふと、こんな問いが浮かんできました。

何者かになろうとしていた。

ずっと、そうしていた気がします。

もっとできる人に。
もっと強い人に。
もっと認められる人に。

頑張れば頑張るほど、どこか遠くのゴールに向かって走り続けていた。

でも、全てが止まったその場所で、ようやく気づきました。

何者かになろうとしていたから、苦しかったのだ。

ここで、少し補足させてください。

「何者かになろうとして苦しんでいたのに、自分を信頼していたって、矛盾してない?」

後から自分でも気づいたことなのですが…この2つは、実は違うことを指しています。

何者かになろうとする苦しさは、自分の「存在や価値」への不安です。
今の自分では足りないという気持ちから、外側の評価や承認を求めて走り続けること。

でも自分を信頼するということは、その瞬間の「選択」において、自分の本音から動けていたということ。

バラになりたいと焦がれながらも、チューリップとして毎日ちゃんと水を吸っていた…そんなイメージです。

何者かになりたいと苦しんでいたのは、自分を信頼していなかったからじゃない。自分の外側に答えを求めていたからだと、思います。

チューリップの種から、バラは咲かない

チューリップの種からは、チューリップしか咲きません。

猫が、どんなに頑張っても犬にはなれない。

当たり前のことなのに、
人間だけはなぜか「違う何かになれるはず」と信じて、
自分ではないものになろうとして、苦しくなる。

私もずっと、そうしていました。

でも、なぜ人は「違う何かになれるはず」と信じてしまうのでしょう。

思い当たる節はありませんか。

もっとできれば、認めてもらえる。
もっと強ければ、傷つかない。
もっと違う自分だったら、うまくいく…。

私にも、そういう声が頭の中にずっとありました。

でも、チューリップはバラになろうとして咲いているわけじゃない。
チューリップのままで、ちゃんと美しい。

それは当たり前のことなのに、自分自身のことになると、どうしても見えなくなってしまうんですよね。

自己受容って、そういうことだったのか

「ありのままの自分を受け入れましょう」
その言葉を聞くたびに、どこか首をかしげていました。
ありのままの自分って、そもそも何だろう?と。

受け入れようとしても、うまくできない。
そうやって、受け入れようとすること自体が、なんだか空回りしていた。

そういう経験、ありませんか。

私が気づいたのは、そもそも自分のことを、よくわかっていなかったということでした。

受け入れる前に、知る。
自分を知ろうと意図すること。
ただそれだけで、何かが動き始める気がしました。
まるで、自分がやっと自分に気づいてもらえた、と喜ぶように。

自己受容って、「ポジティブに捉え直すこと」でも、「無理に肯定すること」でもなくて……
ただ、自分に集中して、「そうか、私はこういう人間なんだな」と、静かに気づくこと。

そうやってただ自分を見ていたら、いつの間にか、自分の欠点さえも愛おしく思える感覚になっていました。
力を入れて受け入れようとしたときは届かなかったのに、力を抜いたら、自然とそこにいた、という感じで。

まず自分を知ろうと意図することだと気づいたとき、それだけで心が少し軽くなりました。

あなたにしか咲けない花がある

私はともこにしかなれない。
でも同時に、ともこにしか咲けない花がある。

そう思ったら、何者にもなれなかったことは、そうだよねと静かに受け入れられた。
苦しかったあの時間も、無駄じゃなかったんだと、少しだけ思えるようになりました。

もし今、自分を受け入れられなくて疲れているなら…

無理に受け入れなくて、いいです。
受け入れようとしなくて、いいです。

ただ、今日ここまで生きてきた自分を、少しだけ見てあげてほしい。

あなたはすでに、あなたという種を持って生まれてきている。
その種から咲く花は、あなたにしか咲かせられないものです。

今日はただ、ここにいていい。あなたのままで、十分です。🌷

ここまで読んでくださってありがとうございます。