「ただ在る」という言葉を、うまく説明できるか自信がありません。

でも今の私には、確かにその感覚があります。

静かな幸せ、とでも言えばいいでしょうか。

誰かに何か言われても、揺れない。
何かが起きても、流されない。
ただ、ここにいる。
それだけで満ちている感覚です。

この感覚に辿り着くまでに、ずいぶん長い時間がかかりました。

以前の私は、言葉に簡単に傷ついていた

「なんでそんなことが言えるんだろう」

以前の私は、誰かの言葉に簡単に傷ついていました。

相手の一言が頭から離れなくて、
何度も反芻して、
ひとりで苦しくなる。
そんなことを繰り返していました。

転機になった出来事があります。

50代になって初めて、整体師の世界に飛び込んだときのことです。

手首を痛めて精密検査を受けた日。
午前中に病院で診断結果を受け、
午後には職場へ向かいました。

整体の施術は限界でしたが、リラクゼーションへ移行して頑張ろうと…
心を整えながら職場に着きました。

同僚のベテランセラピストに、今後の方向性を話しました。
そのとたんに言葉が返ってきました。

「ともこさんにはリラクゼーションは絶対できない。
絶対無理。
この世界で20年以上やってきた私が言うのだから間違いない」

ショックでした。

痛みに耐えながら頑張ってきたことを、
そばで見ていたはずなのに。
労いの言葉どころか、全否定する言葉でした。

悔しかった。
悲しかった。
怒りより先に、その二つが来ました。

でも私は、その言葉を受け取らなかった

そのとき、私の中で何かがはっきりしました。

これは、この人の問題だ。私の問題ではない。

彼女には彼女なりの背景があって、
溜め込んできたものがあって…
だから人を慮る余白がなかったのかもしれません。
そう思えました。

そして、もう一つ気づいたことがありました。

私を傷つけることは、私以外誰にもできない。

どんな言葉をかけられても、
それを「受け取るかどうか」は自分が決められます。
傷つくのは、その言葉を自分の中に引き入れたときだけです。

だから私は、受け取りませんでした。

翌日からその人のことで思い悩むことは、一切ありませんでした。

境界線を引くことで、逆に許せるようになった

不思議なことに、境界線を引けるようになったら、人を許せるようになりました。

以前は、傷ついた分だけ相手への怒りや悲しみを抱えていました。

でも「受け取らない」という選択ができるようになったら、
相手に対して静かな理解が生まれるようになりました。

あなたはそう思うのね、と。

戦わない。
言い返さない。
でも飲み込まれない。

ただ、そっと離れる。

これが今の私の在り方です。

「ただ在る」とは、全受容全肯定の状態

初夏の新緑に包まれた穏やかな清流

心理学や精神世界、哲学を自分なりに探求してきた中で…

そして、あの強制終了が起きた「勾留」という出来事を通して、ふっと腑に落ちた感覚があります。

絶対的な価値が、ひとりひとりに在る。

誰かに認められなくても。
結果が出なくても。
何者でなくても。

ただ存在しているだけで、価値がある。

その感覚が静かに根付いたとき、何かが変わりました。

誰かの言葉に一喜一憂しなくなりました。
比べることが減りました。
無理に何かになろうとしなくなりました。

今の私にあるのは、静かな幸せです。

派手ではありません。
特別でもありません。
でも確かに、ここにあります。

おわりに

これが私にとっての「ただ在る」という感覚です。

うまく言葉にできないこともあります。
でも、あなたの中にも似たような感覚が、もしかしたらあるかもしれません。

誰かの言葉に揺れているとき…
その言葉を「受け取るかどうか」は、自分が決めていいのです。

そのことを、そっと思い出してもらえたら嬉しいです。

どうやってここに辿り着いたのか。
その道のりは、このブログのあちこちに散らばっています。
気が向いたとき、ふらりと読んでもらえたら嬉しいです。

ここまで読んでくださってありがとうございます。🌷