こんにちは、ともこです。

なんとなく、大丈夫な気がする。

そう感じるとき、その理由を説明できないことがあります。

不安が消えたのは、何かが解決したからではありません。

状況は何も変わっていないのに、どこか深いところで「大丈夫」という感覚がある。

そんな瞬間はありませんか。

生まれた瞬間、たまは放たれた

人は生まれた瞬間、ひとつの「たま」として放たれると、私は感じています。

そのたまは、生まれたばかりのとき、透き通るほど純粋な光を持っています。

色も、形も、その人だけのもの。誰ひとつ、同じたまはない。

生きていく中で、たまにはさまざまなものがついていきます。

思い込み、刷り込み、誰かの言葉、社会のルール——気づかないうちに、たまの表面を覆っていく。

形がいびつになることもある。本来の光が見えにくくなることもある。

でも、たまそのものは変わりません。

余計なものは、いつか落とされる。そして必要なものは、たまの栄養になる。

傷ついたように見えて、実は余分なものが削れているだけ。

出会いも、別れも、苦しさも、喜びも——全てがたまを育てる糧になっていく。

たまは旅をしながら、少しずつ本来の自分に近づいていく。

それが、私の感じる「人生の軌道」です。

その軌道には、最初から進化成長が含まれている

たまには、最初から軌道があります。

どこへ向かうのか、どんな旅をするのか——それはすでに、生まれた瞬間に設定されている。私はそう感じています。

障害物にぶつかることも、方向が変わることも、全てその軌道の一部です。

何かを失うことも、立ち止まることも、遠回りに見えることも。それらは全て、たまの旅に必要なことだった。

だから私は、「予定調和」という言葉がしっくりきます。

ただ、私が感じる予定調和は、「筋書き通り」という意味とは少し違います。

偶然に見えることも、理不尽に感じることも、最悪に思える出来事でさえ——大きな流れの中に、ちゃんと織り込まれていた。

勾留という状況の中でさえ、「これは導かれている」と感じるような出来事がありました。

人生は、自分が思う以上に、ちゃんと守られている。

その感覚を、私は「予定調和」と呼んでいます。

そして大切なのは、この軌道には最初から「進化成長」が含まれているということです。

苦しい経験も、思い通りにならない日々も、余分なものを削り落とすための旅。

たまは傷つきながら磨かれ、出会いと別れを繰り返しながら、より純粋な光へと向かっていく。

これは、自分だけの話ではないと思っています。

全ての人に、その人だけの軌道がある。

何もしなくても、あなたはすでに進化成長の途上にいる。そう、心から感じています。

全てが強制終了されたとき、見えたもの

この感覚が、はっきりと腑に落ちたのは——全てが止まったときでした。

ある出来事をきっかけに、私は勾留という経験をしました。

仕事も、日常も、人間関係も。当たり前だったものが、一度すべて止まりました。

逃げ場のない静かな空間の中で、ただ時間だけが流れていく。

そのとき、不思議と気づいたことがあります。

何もなくなったとき、たまだけが残った。

それまで「自分でやっている」と思っていたことが、実はずっと軌道の上を歩いていただけだったのかもしれない。

剥ぎ取られて、削られて、残ったものが——本当の自分だった。

そんな感覚が、静かに降りてきました。

理由のない大丈夫さの正体

だから、大丈夫なのだと思います。

状況が解決したからではない。強くなったからでもない。

自分のたまを、自分の軌道を信頼しているから——ただそれだけで、深いところが揺らがない。

不安になるのは、軌道を疑うときです。

「このままでいいのだろうか」「何かしなければ」と、軌道の外に答えを探しに行くとき。

でもそこに答えはなくて、ただ不安だけが増していく。

たまの上にいると気づいたとき、力が抜けます。

何もしなくても、あなたはすでにその途上にいる。理由がなくても、大丈夫なのです。

おわりに

この感覚は、うまく言葉にできないこともあります。

でも、もし今「なんとなく大丈夫な気がする」と感じる瞬間があるなら——それは、あなたのたまを、あなたの深いところがちゃんと知っているからかもしれません。

その感覚を、信頼してみてください。

そしてこの「軌道への信頼」は、もうひとつの気づきへとつながっていきます。

起きることは全て、善き事なのかもしれない——そのことについては、また別の記事で書こうと思っています。

今日も、ここまで読んでくださってありがとうございます。🌷

\ あわせて読みたい /

📖 ともこのプロフィールはこちら